会社員を長くやっていると、「普通はこうする」「常識だろう」といった言葉を何度も耳にする。だが、そもそも普通とか常識とは何なのだろうかと疑問に思う。
私自身、ASDやADHDの傾向があるせいか、この「普通」「常識」が分からず日々苦労している。特に、入社4年後に初めて事務系の部署へ異動したときは、普通や常識が分からず大変であった。
初めての事務系の部署
はじめて事務系の部署に異動したときは私が分からない普通や常識がたくさんあり苦労した。前任は現場系の部署であったが全く異なるルールが存在し、まるで別の会社のようであった。そこで私が言われたのは次のようなことである。
- 資料を作るよう指示されたので自分なりに仕上げたら「過去の資料を参考にするのが普通だろう」と言われた。異動してきたばかりの私には、そんな「普通」など分からなかったし、過去の資料があることすら分からなかった。
- 分からない点を上司に確認したら「自分の担当なのだからまずは自分で調べるのが普通だろう」と叱られた。ところが、独力で調べて提出したら「出来が悪い。普通は詳しい人に聞いてから作るだろう」と再度叱られた。
- 部内会議で「なんでもいいから質問してください」と言われたので思ったことを質問したところ、後で呼び出され「大勢の前でそんなことは普通は聞かない」と注意を受けた。
- 上司に伝えたいことがあり、忙しそうなときに声をかけたら「普通は声をかけないだろう」と怒られた。
- エクセルが使えなかった私は、「普通の人ならこれくらいできるだろう」と断言された。
さらに、「予定があっても業務があるなら残業するのが社会人の常識」「歓送迎会や忘年会には参加するのが常識」「幹事は下っ端がやるのが常識」といったものもあった。挙げればきりがないが、これ以外にも「普通」「常識」というのを嫌というほど言われたと思う。
それだけ私自身が普通ではなく常識が無かったのかもしれないが、行動をすれば叱られ、発言をすれば非常識だと言われ続けると、仕事そのものが億劫になってしまうのである。
私が常識知らずなのか。常識が非常識なのか。
ここまで徹底的に「普通」「常識」を指摘される人間も少ないのではないかと思う。だが、あまりに何度も言われると「普通とは何か」「常識とは誰の基準なのか」と考え込んでしまう。私にとって普通や常識を理解することは本当に難しく感じる。今でも完全に把握できたとは言い難く、たまに非常識と受け取られて叱られることがある。
おそらくだが、普通や常識というのは結局のところ「空気を読む」ことであると思う。普通の感性の人ならば無意識に場の雰囲気を感じ取り、適切な行動を選ぶことができるのだと思う。しかし、私のようにそれが苦手な人間にとっては、それがうまくできないのだ。
普通、常識が無い人の強み
会社員の世界では、普通や常識が無いことはマイナスに働くことが多い。しかし、ここであえて強みを挙げてみたい。それは普通でないこと、非常識なことは新しい発想や変革を生み出せるのではないだろうか。前例や常識にとらわれていては、何も変わらないし、新たな効率化や改善も生まれない。「普通ではないこと」からこそイノベーションは始まるのだ。
歴史を見ても、すごい発明や改革は常識外れの発想から生まれている。組織においても、古い慣習ばかりに縛られていては変化できない。実際、最近は「常識にとらわれない変革」を掲げる会社も増えてきている。
私の会社の場合
私の勤める会社は典型的な昭和型企業であり、前例踏襲と古い慣習が色濃く残っている。表向きには「変革」を掲げていても、実際には「前例があるかどうか」が重要視される。そんな環境では、普通や常識に外れる人間は強みを活かすよりも、マイナス面ばかりが目立ってしまう。
ふと「時代や環境が変われば、そんなマイナス面もプラスになることもあるのだろうか」、「もし違う会社に入っていれば活躍できたのだろうか」などと考えてしまうことがある。


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