吃音と劣等感

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発達グレーと向き合う
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吃音がある人の多くは、何かしら話し方でバカにされた経験を持っていると思う。私ももちろんそうである。子供のころは学校で、そして今の会社でも話し方をバカにされたことがある。
年齢を重ねても、この感覚は忘れられず、時々嫌な思い出としてよみがえることがある。

吃音というものは、単に話しにくい、言葉が出にくいというだけの問題ではなく、自己肯定感や存在感にまで影響を及ぼすものだと実感している。

私自身、吃音に対して正直なところ強い劣等感を抱いている。気にしないように努力していても、過去の経験を引きずってしまうのだ。吃音がある人なら、私のように劣等感を持っている人は多いのではないかと思う。

もし劣等感を感じないという人がいるならば、それは相当神経が太い人か、鋼のメンタルを持っている人だろう。


無意識に出てしまう劣等感

私は、日々、吃音を気にしないように努めている。そして劣等感を感じないように心がけている。
しかし、現実的に無理だと感じている。どもったとき、言葉に詰まったときは相手が自分のことをバカにしているのではないかと感じてしまうことがある。

このような感情に対し、中には「被害妄想だ」「自意識過剰だ」という人もいるだろう。実際、周囲はそんなに気にしておらず、バカにしたり軽蔑しているわけでもないのかもしれない。

しかし、この感情は吃音の当事者でなければ分からないと思う。多くの吃音の当事者は、過去に吃音が原因で嫌な思いをした経験があると思う。

それがトラウマとして心に残り、無意識のうちに「バカにされないように」という感情が防衛本能として表れているのだと思う。

この感情はそう簡単に消せるものではないと思う。気にしないようにしようと意識しても、無意識に劣等感が身体や言葉の反応として出てしまうのだ。

そして、この「バカにされないように」という感情が、時に職場のコミュニケーションでトラブルを引き起こすことがある。私も、仕事の場でそうした失敗を何度も経験してきた。


電話で起きたトラブルの事例

たとえば、他部署の人との電話対応でのことだ。業務の確認でこちらから連絡した際、相手から予想外に厳しい口調で問い詰められる場面があった。その瞬間、私は言葉が詰まり、どもってしまった。どもったことで無意識に「バカにされないように」という感情が出てしまい、防衛本能が働いたのだろうか、無意識だが相手に対して攻撃的な口調になってしまった。

すると、相手もさらにきつい口調で返してくる。こうなるとやり取りは負の連鎖になる。私としても相手の強い口調に対し、感情がもろに出てしまい、余計にトラブルに発展する。

電話は相手の顔が見えないため、こちらのちょっとした言い方や声色が相手には「反論している」「怒っている」と受け取られがちだろうし、私も顔の見えない相手からきついことを言われると、一種の恐怖や怒りを感じてしまう。見えない相手だからこそ、きつい口調でのやり取りの中、その想像は増幅されていく。

このように、吃音による劣等感が発端でトラブルに発展することは何度もあった。

また、電話以外でも部内会議の場で発言したときに「もっとはっきり話してくれ」と指摘されたことがある。吃音持ちとしては、会議の場という大勢の前で「吃音を指摘されたのか」「話し方をバカにされたのか」と感じてしまうことがある。もちろん相手にはそのような意図は無いと信じているが。

そうなると、焦って早口になり、余計なことを口走ってしまい、後で上司に呼び出され怒られたこともあった。


改善はできるのか?私には無理だと思う

ゆっくり話す、落ち着いて話す、発音しにくい言葉を避けるなど、これまで吃音対策は私なりにしてきたと思う。

しかし、今では克服することは無理であると感じている。

吃音に対する劣等感も正直なところなくすことはできないと思う。

吃音が出たときは、嫌でも劣等感を感じるし、恥ずかしさが込み上げる。悟りでも開いた人でなければ、劣等感を感じず平常心でいることは不可能だろう。

そしてこの年齢になると、改善しようという気力も薄れてくる。

毎回、気にするなと言われても、簡単に気持ちを切り替えられるものではない。

吃音に対する劣等感はもう克服できないと思っている。

防衛本能が無意識に働いて攻撃的な話し方になっていることも自覚している。

攻撃的な話し方は相手にも迷惑をかけているので直さなければならないとは思うが、私には難しいと感じている。

おそらくこれからも、吃音が原因のトラブルは起こしてしまうだろう。これはもう仕方がないと、私は割り切っている。

吃音が原因で今後もトラブルを起こすかもしれないが、私はもう昇進も無いだろうし、評価も下がるところまで下がったと思う。半分リストラされても良い、という気持ちすらある。そんな自分を受け入れる気持ちである。


それでも自分を認めるということ

私は、吃音があっても仕方が無いと感じている。職場での評価や昇進においてはマイナスしかないかもしれないが、自分自身の個性として受け入れようと心がけている。

もちろん、吃音によって迷惑をかけてしまう場面もある。しかし、吃音は治すこともできないし、劣等感もなくすことはできない。結局は受け入れるしかないのだ。

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