飲み会の恐怖 〜私が職場の酒席を避ける理由〜

私の回顧録
①職場の飲み会に良い思い出はない

私にとって職場の飲み会とは、仲間意識を深める場などではなく、常に緊張と不安、失敗の記憶がよみがえる「恐怖」のような存在である。これまで職場にて数々の飲み会に出席してきたが、良い思い出は無い。むしろ、忘れたくても忘れられないトラウマばかりが積み重なっている。おそらくASD、ADHD傾向のある人は私と同じような経験をしているかもしれない。

②初めての幹事で失敗

新入社員として初めて配属されたのは、発電所の三交代制の現場だった。配属直後に歓迎会が開かれることもなく、職場の人間関係もまだ希薄なまま日々の業務に追われていた。そんな中、配属から半年ほど経ったある日、幹事を任された。。

右も左もわからぬ状態で、準備に取り組んだが、結果は見事に失敗。実は、自分の班以外にも声をかけなければならなかったらしく、場所選びや案内の仕方にも、職場内に存在する「暗黙の了解」があったという。だが、私にはそんな慣習が共有されておらず、失敗するべくして失敗したと言える。
そもそも配属されてから飲み会などほとんど経験していない私に、そうした「常識」が分かるはずもなかった。

③歓送迎会での司会 ― ぎこちなさが嘲笑の的に

入社して2〜3年が経った頃のことだが三交代の班の歓送迎会で司会を任されたことがある。
依頼してきたのは年下の先輩社員だった。
断りたかったが、空気的に断れる雰囲気ではなく、渋々引き受けた。吃音の傾向がある私は、言葉に詰まりがちで、滑らかな司会進行はできなかった。それでも懸命に進行を務めた。

しかし、最後に最も偉い上司に閉会の言葉をお願いしたところ、一言目に放った言葉が、「不慣れでぎこちない司会、お疲れ様でした」であった。

それが皮肉なのか、慰めなのか、あるいはただの事実の指摘なのか、真意は分からなかった。
ただ、いい気分はしなかった。

④今でも夢に出るトラウマとなった飲み会

数年後、異動先の別の部署でも、また幹事を任されることがあった。
この飲み会はトラウマになるものであった。
本来、幹事業務は数人で分担すべきだが、協力してくれるはずの先輩社員は「私用がある」と言って全ての幹事の役割を私に押し付けた。

会費の設定、タクシーの手配、車の割り振り、会場の選定、そして当日の司会進行まで――ほとんどを私がこなさねばならなかった。
会費についても、忘年会などの事例を元に役職に応じて金額を変えたところ、ある上司から「俺がなぜ多く払わなければならないのか」と苦情が出た。親睦を深めるための飲み会では、会費は一律にするのが通常であったらしい。

極めつけは、段取りの不手際、私のぎこちない司会進行も重なり、酒が入った上司が堪忍袋の緒を切らし、皆の前で私を叱責した。
飲み会の不備、業務の不備だけでなく、「○○県出身の人間は…」といった出身地や私の性格、家族の事にまでダメ出しが及んだことは今でも鮮明に覚えている。一部の先輩社員もその叱責に加勢し、私は完全に孤立状態であった。

怒りと屈辱に加えお酒も入っていたので理性が飛びかけたが、同僚に制止され、なんとか暴れるのだけは避けられた。
制止された後、流石に酷い扱いと思ったのか、係長が私を庇いフォローしてくれた。
この飲み会は、私の人生において最悪の記憶の一つとなった。

⑤防衛的な態度が引き起こした口論

このトラウマの後も、飲み会に参加しなければならない場面があった。
前回の経験が尾を引き、楽しむというよりも身構えた状態で出席していた。そのせいか、自然と攻撃的な態度が表に出てしまっていたように思う。係長との口論に発展し、最終的には胸ぐらを掴まれる事態にまでなった。

翌週、別の上司から「気持ちは分かるけど、さすがに言い過ぎだったよ」と諭された。完全に一線を越えてしまったと反省している。
典型的な「ダメリーマンの酒の失敗」であった。

⑥無礼講という幻想、そして「説教されやすいキャラ」

「お酒の席では無礼講」とはよく言われるが、それは表面上の建前にすぎない。実際の職場の飲み会では、その言葉を真に受けて自由に話そうものなら、すぐに地雷を踏むことになる。私の場合、空気を読まずに(あるいは読めずに)発言してしまうことが多く、それが上司や先輩の神経を逆撫でしているのだと思う。

こうした状況が続くと、次第に私が「説教しやすい相手」として認識されていったように思う。飲み会の席では、まるで標的にされているかのように、日頃の勤務態度や言動について叱責を受けることが度々あった。

また、部全体の飲み会において、他のチームの輪に入ろうとした際、「今、話してるから」とやんわり拒絶された経験もある。あの瞬間、私は自分が「歓迎されていない存在」であることを強く感じたことを覚えている。

そうした体験を積み重ねるにつれ、私にとって飲み会とは「親睦の場」ではなく、「延長された会議」にしか思えなくなった。

⑦酒はレバレッジだと思う

酒は、人間関係の潤滑油とも言われるが、それはあくまで「相手次第」であると思う。
相手が好意的な人物であれば、お酒が関係性を深める力になる。
一方で、悪意を持っている人物が相手であれば、お酒はその悪意を増幅させ、関係を破壊する。
お酒が本音を引き出すのだとすれば、それは諸刃の剣であると思う。

私にとって、飲み会とは「人間関係を拡張するレバレッジ」であり、誤って使えば信頼や信用を失うを失う危険な道具だと思っている。

⑧少人数なら前向きになれる

一方で、4〜5名以内の少人数の飲み会であれば、私も前向きに参加できる。少人数であれば気を使う範囲も限られ、説教や無視といった事態も起こらない。お酒がプラスに働く確率も高まる。

⑨今では飲み会は極力回避

このような経験を重ねた結果、私は今では職場の飲み会を極力避けるようにしている。どうしても参加する場合は、心から「この人と飲みたい」と思える相手がいるときに限る。

職場での印象が悪くなるかもしれないが、自分が飲み会の場で何かやらかしてしまい、周囲に迷惑をかけるくらいなら、最初から参加しない方がよいと考えている。何より、時間とお金を使って、嫌な思いをするために飲み会へ行くのは、本意ではない。

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