はじめに ― なぜ職場の飲み会を避けるのか
以前の記事「飲み会の恐怖 〜私が職場の酒席を避ける理由〜」でも書いた通り、私は職場の飲み会を基本的に避けている。それは、過去に良い思い出がなく、いくつものトラウマがあるからである。
しかし、それだけではない。日常的に抱えている「自己嫌悪に陥ること」や「居場所のなさ」も、飲み会を避けたくなる理由の一つである。
できる社員は飲み会でもヒーロー
職場の飲み会では、話題の中心が仕事になるのは自然な流れである。成果を上げている人や海外事業など注目のプロジェクトを担当している人は、飲み会でもヒーローである。
周囲からは「どんな仕事をしているのか?」「苦労話や工夫は?」「現地での体験談は?」といった興味深い質問が飛び交い、当人も気持ちよく語ることができる。
上司、先輩、後輩からもできる人として一目置かれ、まさに輝かしい存在、勝ち組である。
ダメ社員には語る中身がない
一方、私のような裏方業務や庶務を担当する社員にとって、仕事の話題は広がりにくい。語れる内容がないどころか、話題に入ることさえ難しい。
雑談のセンスがあれば、庶務業務を笑いに変えることもできるかもしれないが、私は話下手でそのようなスキルは持ち合わせていない。
ただでさえコミュニケーションが得意ではないのに、語れる仕事の話も無ければ、飲み会では完全に「ただ居るだけ」の存在になってしまう。下手をすれば、注文を取ったり、お酒を注いだりといった「飲み会の雑用係」として働く羽目になることもある。
比較の対象にされることも
時には、そんな自分が予想外な展開で注目されることもある。
すると、話題の流れで優秀な社員と比較されたり、「お前も、もっと頑張らないと」「○○さんを見習え」といった説教が始まることもある。
職場では裏方、飲み会では雑用係、あるいは空気のような存在。そんな中でできる人と比べられると、嫌でも自己肯定感は損なわれる。
飲み会でも卑屈にならざるを得ない
優秀な社員が語る話は確かに素晴らしい。実力もあり、華々しい成果もある。それを否定する気は全くない。ただ、その活躍の話を仕事以外の時間、アフターファイブにまで聞かされ続けるのは、「もうたくさん!」と言った気持ちである。
職場ですでに十分劣等感を味わっているのに、飲み会でも同じような輝かしい話を聞かされると、ますます自分のダメさを痛感させられる。活躍の舞台に立つ人を見て羨ましいと感じる一方で、そうした機会に恵まれない自分は常に日陰にいるような気持ちになる。そんな場所で自尊心を保てという方が無理である。
自己肯定感を守るための「飲み会選別」
このような理由から、私は職場関係の飲み会には選別して参加することにしている。
特に、部門全体のような大人数の飲み会は原則不参加である。そういった場は、私にとって「輝かしい人が集まる眩しい場所」であり、日の当たらない場所に居続けた人間は参加することで干からびてしまうようなものである。
勤務時間外にそのような場に行くくらいなら、その時間を「自己肯定感を保てること」、たとえば趣味や社外の人との交流などに充てる方が、自分にとっては精神衛生上も好ましい。勤務時間外は自ら自分に合った環境の場所へ移動するのだ。
少人数なら前向きに
ただし、職場でも気の合う数人との飲み会であれば、話は別である。信頼関係がある相手との少人数での飲み会であれば、前向きに参加を検討する。予定が空いていれば、むしろ積極的に参加することもある。
職場での評価は下がるかもしれないが、勤務時間外の飲み会などの職場のイベントは自分自身の正直な気持ちに従って参加するようにしている。心から参加したいと思えば参加するし、少しでも嫌だと思ったら断るようにしている。
まとめ
飲み会は誰にとっても楽しいとは限らない。
特に、自分に語れる仕事がない、日々評価されていないと感じている社員にとって、職場の飲み会は自己肯定感を下げる場になり得る。私はその現実を、身をもって体験してきた。
だからこそ、自分を守るために飲み会を選別するという選択は、逃げではない。自己肯定感を保つためにも、自分自身の正直な気持ちに従うことが大切である。
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