「主体的に動け」と言われても|私にとって理解できない言葉

スポンサーリンク
職場での出来事・エピソード
スポンサーリンク
「主体的に動け」がわからない

職場でよく耳にする言葉のひとつに、「もっと主体的に動け」というものがある。しかし私は、この言葉の意味が長い間、理解できずにいた。情けない話だが今でも完全に理解していないと思う。

実際、過去に「主体的に動いた」と思った行動をした際に、上司から「確認は取ったのか?」「勝手に動くな」「余計なことはするな」などと叱られた経験が何度もある。特に若い時は自分勝手な行動をする奴と思われていたのだと思う。

このような出来事が重なると、「業務を行うときは、都度、上司や関係者に確認を取るのが無難だ」という判断に行き着く。
自分の判断で動いても結局怒られるのだから、最初から動かない方が安全であると学習してしまうのだ。40歳を過ぎると責任の重さも増し、なおさら慎重になる。

「指示待ち」と見なされる構造

そのような経緯から、私は無意識のうちに「言われたことだけやる人」「指示待ち人間」として認識されていたのかもしれない。

過去には、係長からわざわざ呼び出されて「もう中堅なんだから主体的に動いてくれ」と説教されたこともあった。また最近、昇進できない理由についてグループ長から「主体性が足りない点が挙げられる。うちの会社では主体性がない人を嫌う傾向がある」とも言われた。

このような指摘をされるたびに、自分なりに主体的に業務を進めている。しかし結果的にまた、「根回ししたのか?」「上長へ確認はしたか?」と指摘されることとなり、結局は「どうすればいいのか」がさらにわからなくなってしまった。

「主体的に動け」は何を意味するのか

「主体的に動け」というこの言葉は、私にとって長年の謎であり、会社員として20年以上働いていても真意をつかめていない。私は頭が悪いのだろうか、あるいはASDやADHDの特性の影響があるのか。

そう自問しながら、ここ数年なりに考えてきた私なりの整理は以下の通りである。

① 会社員の仕事は本質的に「主体的」ではない
会社の仕事はどんなことであれ、最終的には上司の確認と承認が必要である。部署横断の案件であれば、さらに多くの関係者の了承も必要となる。こうした仕組みの中で、真に「主体的に動く」ことなど可能なのだろうか。

② 本当の主体性とは「個人事業主」のような働き方にある
屁理屈に聞こえるかもしれないが、主体性とは、個人事業や副業のように「自分で意思決定し、自分で責任を取る」働き方にこそ存在するのではないか。むしろ、それこそが本来の「主体的に動く」行動だと思う。

③ 「できる人」は根回しと空気読みが上手い
では、職場で「主体的に動けている」とされている人は、実際にどうしているのだろうか。観察してみると、彼らは決して勝手に動いているわけではない。根回しをしっかり行い、上司の意向を絶妙にくみ取り、確認すべきタイミングを逃さないのである。つまり、「自分の裁量で動いているように見えて、要所要所で丁寧な調整をしている」ということなのだ。

④係長、グループ長も根回ししている
直属の上司も、何か業務を進めるたびに、さらに上の役職、たとえば部長の意向を確認したり、うかがったりしている。そして、できるだけ部長の考えに沿った内容を提案できるよう、慎重に気を配っているように見える。
「上司と部下の板挟み」という表現があるが、結局のところ「自分の裁量で動いているように見えても、実際は、上の意向の範囲内で動いている」に過ぎないのだろう。

空気を読めるかどうかがすべて

正直正解は分からないが、私の結論として、会社員における「主体的に動け」という言葉は、要するに「空気を読んで先回りし、関係者に配慮した上で動け」という意味なのだろう。

空気が読める人は、上司の意図や社内の雰囲気をくみ取りながら動けるため、いちいち細かい確認をしなくても許容される。どこまでが自分の裁量で、どこからが確認すべき事項かを感覚的に理解できているのだろう。

私にとっては、これはもはや水晶玉で人の心を読まなければならないほど、高難度なスキルである。普通の人には当然のように備わっているのかもしれないが、私には極めて難しい。

主体性が評価されるのは「空気の中での正解」が出せたときだけ

どれほど素晴らしい資料を作ったとしても、それが上司の意向の範囲外であれば「承認を得ていない、勝手な提案」と見なされる。
意見を述べる場面でも同じで、上司の考えから外れていれば「素晴らしい提案」ではなく「勝手な発言」と評価されてしまう。

つまり、職場での主体性とは「自分で考えて動くこと」ではなく、「空気を読んだ上で正解を選び、動くこと」に他ならない。

私は「主体的に動けない人間」なのか

このように考えると、私はやはり「主体性がない」と見なされて評価されないのも納得がいく。会社員としてのセンスがないのかもしれない。

職場において普通に、自分の裁量でできることを判断し、確認の要否を適切に見極められる人が、心底うらやましく思える。

「主体的に動け」という言葉は、本当に理解不能である。私にとって、あいまいで難解な指示の一つに思えてならない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました