憂鬱な労働組合の夏祭り

雑記・気づき・日常
憂鬱な動員要請がまた来た

選挙と組合活動 ― 無償動員とモヤモヤの本音」でも記載した通り、私の勤務先では労働組合が主催する「夏祭り」というイベントが毎年開催される。
花火の打ち上げまで行う規模で、組合としては職員交流の一大イベントと位置付けているようである。

そして今朝、その夏祭りに関する動員要請が再度通知された。準備・企画・売り子・片づけ等、土曜日の夕方、夜にかけて行われるイベントである。
当然ながらすべて無償であり、形式上は業務外であるが、会社(経営管理職)の人間も多く来場するため、事実上は業務の延長のような雰囲気がある。

そして夕方には再び動員要請の周知があった。おそらく立候補者が集まらず、人員の確保が困難になっているのだろう。
周知には「イベントが好きな方」「人付き合いが得意な方」への自主的な参加呼びかけがあり、希望者が集まらなければ最終的にくじ引きで決まる仕組みとのことであった。
必要人数もかなり多く、自主的な参加者が全くいなければ、かなりの確率で動員に当たりそうな雰囲気である。

思い返せば、コロナ禍でこのイベントが中止になっていた時期は、余計な心配をせずに済んでおり、良かったと思う。

私がやりたくない明確な理由

私はこのような会社関係のイベントに良い思い出がない。飲み会を含め、職場の交流行事に参加しても、気疲れや孤立感ばかりが残る。
言葉は悪いかもしれないが、休日にまで会社と関わるのは本当に勘弁してほしい。

また、週末は家族サービスや友人との交流といった、私にとってかけがえのない時間がある。すでに予定が入っている場合、キャンセルによる金銭的損失も発生しかねない。特に土曜の夜は最もリラックスできる時間帯であり、それを「会社関連イベント」で潰されるのは非常に損をした気分になる。

さらにダメ社員と思われている立場上、週末に職場関係の人と関わって自己肯定感を下げるのも面白くない。このイベントに積極的に関わる人は、社交的で優秀で会社でも注目されている「いわゆる目立つ社員」であり、私にとっては眩しく映る存在である。

私の正直な思い

率直に言えば、「夏祭りなどやりたい人だけでやってくれ」「休日に開催するのなら、参加しない自由もある」と思っている。
もし、動員しても人が集まらないなら、潔く中止するか、規模を縮小する判断が妥当だと思う。
組合員のために行っているイベントという思いもあるのかもしれないが、興味の無い人にとってはどうでもいい。他人の時間を当然のように奪わないでほしいという気持ちである。

それに私は毎月の組合費をしっかり支払っている。それだけでも十分に労働組合に貢献していると考えており、それ以上の奉仕を求められるのはどうかと思う。
イベントへの参加が当たり前とされ、無償の動員まで要求されるのは「時間の搾取」と感じざるを得ない。

正直、花火まであげて夏祭りを開催するくらいならば、組合費を下げてくれた方がよほどありがたいと思う。

万一、動員されたら…

万が一、くじ引き等で動員が決まってしまった場合、私が考える対応は以下の3つである。

  • しぶしぶ参加する
  • 代わりの人を探して依頼する
  • やむを得ずドタキャンする

もちろん、ドタキャンは社会人として褒められた行為ではないと思う。しかし、私一人が怒られるだけで済むなら、他人に押し付けるより罪悪感は少ない。
そもそも、このようなイベントが好きな人も少なからずいるはずなので、その人たちが対応した方が絶対に良いと思う。無理に嫌がる人間を引っ張り出す意義が本当にあるのか、疑問に感じる。

終わりに

労働組合の夏祭りというイベントは、楽しみにしている人もいる一方で、私のように「嫌だな」と感じる人間もいる。時間外に交流や団結を求めるならば、参加しない自由があっても良いと思う。すべての人が「楽しみにしている」わけでもなく「貢献して当然」という価値観を共有しているわけでもない。そのような価値観が平然と押し付けられることに、強い違和感を覚える。

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