趣味でも極めれば達人扱いされる 〜ランニングで得た居場所と自己肯定感〜

自己肯定とメンタルケア

私は趣味としてランニングを続けている。走ることでストレスが解消され、日々の嫌なことを忘れることができる。すでに10年以上のキャリアがあり、完全に習慣化している。
ASD傾向のある私にとって、この習慣が崩れることは大きなストレスである。
そして、走らない日があると、どこか気持ち悪さがあるほどだ。

そして毎年、いくつかのマラソン大会に参加しているが、いつしかフルマラソンで2時間台で走れる実力を身につけていた。いわゆる「サブスリー」である。

サブスリーは実力者の証

フルマラソンで3時間を切る「サブスリー」は、全ランナーの中でも上位5%程度と言われている。実際、このタイムを達成できると、ランニング界隈では一目置かれる存在となる。私のような存在でも、実力者として見てもらえるのはありがたいことである。
そして小規模な大会であれば表彰台に上がることもある。

私は普段の仕事ではほとんど褒められることがない人間であるが、このように評価される場面は非常に貴重であり、自信にもつながる。
年代別表彰のある大会では、入賞のチャンスも広がる。40代後半の私にとってはチャンスも多い。

仲間とつながるランニングの世界

このレベルまで走力を高めると、自然と同じ趣味を持つ仲間ができる。中には地元の有名選手や、全国レベルの実力者と知り合う機会もある。
そして年齢や立場に関係なく「ランナー同士」という対等な関係が築けるのも魅力である。
私より一回り若い人や、定年後の大先輩とも、友人として自然に仲良くなれる。これが職場ならば「役職」というものがあり、フラットな関係は簡単には築けない。

また、外国人ランナーと交流することもある。英語があまり得意ではない私でも、同じ趣味を通じて言葉以上のつながりが生まれたこともあった。相手も分かりやすい英語で話してくれ、フレンドリーに接してくれる。

中には「今度一緒に走りましょう」と声をかけられることもあり、これは職場ではまず味わえない感覚である。

ランニングは「努力が報われる」公平なスポーツ

ランニングの魅力のひとつは、成果が「タイム」という明確な数値で表れる点である。3時間でゴールした人は、4時間でゴールした人よりも明確に速い。
記録を見るだけで、その人の実力が明確に伝わる。

他の競技と違い、審判の主観が入りづらく、感情や人間関係が評価に影響することはほとんどないところも良い。サッカーのゴール判定やフィギュアスケートの採点のような曖昧さもない。格闘技のように一本が取れたかどうかも争う必要がない。

言ってみれば、「空気が読めないから記録にマイナス評価」といった、職場でありがちな理不尽な評価とも無縁である。

自己肯定感を高めてくれる「ランニング」

ランニングは練習した分だけタイムが縮まり、努力が正しく成果に直結しやすいスポーツであると思う。実力主義かつ公平で、誤魔化しのきかない世界だからこそ、達成感や成長実感が得やすい。

このような世界では、私のような者でも「実力者」として受け入れてもらえる。それが自己肯定感の維持にもつながっている。

趣味であっても、ある程度のレベルに達すれば、達人のように扱われることもある。ランニングは、そんな世界への入り口であり、職場や家庭とは異なる「第三の居場所」でもある。

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