私は昭和生まれの人間なので、あまり人のことをとやかく言える立場ではない。しかし今の会社生活の中で、「これはまさに昭和の価値観だな」と思う瞬間が少なくない。
たとえば次のような場面である。
- 長時間労働を嫌がらない。効率よく早く帰るより、長時間労働することで「頑張った感」を出している。むしろ長時間労働を美徳としている。
- 上司の指示は絶対。どんなに非効率な業務でも反論せずに引き受け遂行するのが当然とされる。
- 時間をコストと考えていない。備品代や経費は厳しく削減するのに、作業時間は軽視されがちである。数千円の節約のために何日もかけて見積もり比較をさせることも珍しくない。
- 飲み会は参加必須。特に偉い人が参加する飲み会には絶対出席。家庭や体調よりも優先される。
最近はあまり見かけなくなったが、さらにひどいと、次のような価値観の人もいる。
- 残業代は極力つけないのが美徳。
- 若い人は長時間労働して苦労すべきだ。
- プライベートや家族よりも会社が最優先。
私の勤める電力会社のような純日系企業では、このような価値観の人がいまだに少なくない。特に役職に就いている人たちは、この価値観で評価され昇進してきた人も多いのだろう。実際、私の直属のG長も典型的な昭和型の上司である。会社一筋、長時間労働も厭わずに地位を上げてきたタイプだと感じる。
私自身も昭和世代ではあるが、それでも「これは古い」と思う考え方に直面することが多々ある。
昭和の価値観で困ること
こうした価値観を持つ上司の下で働くと、やはり困ることが多い。
第一に、変化を嫌がり業務改善が進まない。前例踏襲が大好きで、無駄な業務でも「昔からやっているから」といった理由で続ける。考え方が古く、改善しようとすれば抵抗にあうため、結局そのまま残る。不要なことを切るのが一苦労であるため、やがて皆があきらめて改善案を出さなくなる。
第二に、平気で人の時間を奪う。会議は長引くのが当たり前で、調整やミーティングも時間通りに終わらない。時間の感覚がないのか、だらだらと続く。
第三に、上司の指示は絶対で、部長以上から言われたことはほぼ反論せずに引き受ける。その皺寄せは現場に来る。結果的に下が振り回され、余計な仕事がどんどん増える。
また、判断が遅く優柔不断な点も困る。最終判断をさらに上の上司に仰ぐため、結論が出るのはいつもギリギリである。現場はその都度右往左往させられる。
ただ、今の上司はまだ「押し付けてこない」だけマシである。もっと酷い昭和型上司も過去にはいた。
10年前に経験した「押し付け型昭和上司」
十年前、別の部署にいたときに出会った上司は、本当に参らせてくれる人だった。
- 残業の強要。定時直前に翌日締め切りの資料作成を命じられる。昼間は会議で忙しく指示できないから定時以降に指示した、という理屈である。
- 家庭や体調より会社優先。「個人的な理由で休むのは構わないが、やることはやってから」と言われるのが常套句。要は「業務が終わらなければ休むな」ということである。当然終わる業務量でもなく、仮に終わらせても上司の修正指示が必ず入る。そのときは結局、業務を終わらせることができず、私は家族を病院に連れて行けなかった。
- 会社員なら24時間365日会社のことを考えろ。あまりの残業に抗議したら、返ってきた言葉がこれである。正直あきれてものが言えなかった。
- 残業時間の圧縮。「これ以上は残業代をつけられない。範囲内で終わらせろ」と言いながら、到底終わらない量を押し付けてくる。残業代をつけさせない理由は、一定時間を超えると割増しになるから、というものだった。その結果はサービス残業になる。中には翌月に残業時間を持ち越す人もおり、その持ち越し残業50時間なんて人もいた。
また、こんな理不尽もあった。「残業は美徳」と考えているのか、部下の都合を一切聞かず、平気で残業や休日出勤を前提とした指示をしてくるのだ。しかもその理屈が「休むのは構わないが、やることはやってから」という相変わらずの常套句であったため、本当にしんどい経験だった。
まさにその上司は「時間は会社のために尽くすもの」という価値観そのものだった。今ならばパワハラと言われてもおかしくないと思う。
私の本音
昭和の価値観で評価され、昇進してきた人たちにとっては、それが正解だったのだと思う。しかし私は、その価値観に従っても評価されなかった。だからこの価値観の押し付けで「頑張れば必ず報われる」という言葉を言われると違和感を感じる。
また私は、定時以降の時間は自分のために使いたいと考えている。残業代が出るにしても、自分の時間をやりたくないことに費やすのは本当に嫌だ。今の時代、会社一本で生きることは正解ではないのだ。
むしろ、その時間を趣味や資産運用、投資に充てる方がよほど努力が報われるような気がする。会社でどんなに頑張っても評価される保証はどこにもないからである。
一方、十年前に残業の多さを上司に意見したことが、評価されなくなったことの要因の一つなのかもしれない。しかし、それでも自分の時間を犠牲にする生き方には戻りたくない。
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