選挙と組合活動 ― 無償動員とモヤモヤの本音

雑記・気づき・日常

今週末は参議院選挙が行われる。この機会に、選挙と労働組合に関する私の本音を綴ってみたい。社会人として非協力的で自分勝手に映るかもしれないが、実体験に基づく率直な思いであることをご容赦願いたい。

国政選挙が近づくとやってくる「動員要請」

選挙の時期になると、決まってやってくるのが組合からの動員要請である。正直なところ、これが非常に面倒である。

私の勤める電力業界には組織内議員がおり、選挙活動に対して積極的な取り組みがなされている。その結果、私たち組合員に対して選挙関連の無償動員が発生する。

紹介カードの記入やビラ配りなど、自分の裁量で行える活動であればまだ耐えられる。しかし、時間を拘束される「沿道でのお手振り」や「電話作戦」、「選挙旗の設置」や「行進」などは、ほとんどが勤務時間外、あるいは土日祝日に実施される。インターネットやSNSが活用できる中、時代遅れな活動にも見える。

動員要請は、「●月●日(●曜日)、××部から3名」などの形式で突如届く。希望者がいなければ、最終的にはくじ引きとなり、当たった者が参加するという仕組みである。
さらに厄介なのは、当たった場合に「参加できないなら代わりを探せ」と言われる点である。くじで決まった以上、他人に頼みづらいし、制度として非常にいやらしいと感じる。

仮に休日に旅行などの予定を入れていたとしても、代わりが見つからなければキャンセルせざるを得ず、キャンセル料などの金銭的損失が発生する可能性もある。
これはもはや笑えない問題である。

選挙が近づくと、私はこの動員が非常に憂鬱である。くじに当たるかもしれないというプレッシャーで精神的にも良くない。今回は幸いにも免除されたが、当たってしまった人のことを思うと、申し訳なさもある。

「夏祭り」もまた動員の対象

私の職場では、毎年夏に組合主催の「夏祭り」が開催される。職場のイベントが好きな人には楽しい催しであろうが、そうでない人間にとってはどうでもいい行事でしかない。

私自身、ここ数年は一切参加していない。
先日「飲み会の恐怖 〜私が職場の酒席を避ける理由〜」という記事にも記したが、多くの職場の人たちとお酒の入った場で関わるようなイベントには、あまり良い思い出がない。

この夏祭りにも、当然のように動員がある。準備、当日の運営、後片付けと続く。準備が金曜であればまだしも、当日の運営や片付けは週末に行われるため、プライベートの時間が削られる。

祭り当日の運営は比較的希望者がいるようだが、日曜朝に実施される後片付けは人気がないらしい。ASD、ADHDの傾向もあることから、個人的には、このような職場が絡む祭りは「やりたい人だけでやってほしい」というのが率直な意見である。

毎月それなりの組合費を払っている。このようなイベントに資金が使われるのであれば、むしろ組合費を安くしてもらいたいと思う。

今年もこの「夏祭りのシーズン」がやってきた。そして早速動員の連絡が来たので、「またか……」とため息が出る。

組合への疑問と不信感

かつて私は、長時間残業に苦しんでいた際に組合へ相談したことがある。また、長年昇進がない件についても、組合を通じて会社に理由を確認してもらえないか頼んだことがあった。しかし、いずれも「個別の案件には対応できない」と冷たく断られた。

組合は労働者の味方だとよく言われるが、実際に困っているときに助けてもらえなかった経験から、強い不信感を持つようになった。組合費を払っているにも関わらずである。

しかも私の会社では、一般職員は全員強制加入であり、脱退の選択肢は存在しない。毎月の給料からは、それなりの組合費が天引きされ、さらに動員要請や組合役員の選出もある。
だが、いざ困ったときには助けてくれない。私にとっては、加入のメリットが見当たらない。

さらに、私の職場の組合は会社と深く対立することもない、いわゆる「御用組合」である。春闘は毎年あるものの、基本給の上昇幅は限定的であり、東日本大震災以降に削減された賞与も元に戻っていない。

煩わしい組合活動と距離感

もちろん、会社を良くしていくためには、組合活動が重要であるということは理解している。しかし、私はこの年齢で12年も昇級しておらず、今後もその見込みは薄いと感じている。やりたい仕事を任されることもない。

そんな中、無償の選挙活動やイベント動員に積極的になれるはずもない。「職場を盛り上げよう」「仲間と連帯しよう」といった志を持てと言われても、今の自分には無理である。

評価されず、昇級もなく、給与も伸びない中で、はっきり言って他の社員を支える余裕はない。私の中で、自分肯定感を保つためにも「会社や職場との距離をプライベートではしっかり取りたい」という気持ちが強くなっている。

無償で拘束されるくらいなら、私の時間は家族との時間、趣味、そしてこのブログの執筆など、自分の人生を豊かにするために使いたい。

社会人として、あるいは会社員として、こうした考え方は「ひねくれている」「協調性がない」と言われるかもしれない。しかし、これが今の私の偽らざる心情である。

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