「働かないおじさん」はなぜ生まれるのか

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雑記・気づき・日常
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最近よく耳にする言葉に「働かないおじさん」がある。

仕事への意欲を失い最低限のことすらやらない「やる気のない社員」を指す言葉である。
YahooニュースやSNSでは、「働かないおじさん」に原因があるかのように語られることが多い。

しかし、私は必ずしも「働かないおじさん」本人だけの問題ではないと思っている。
むしろ、会社という組織の中で長く働いていれば、ある意味「生まれるべくして生まれる存在」なのではないかとも感じている。

ちなみに私は40代後半の平社員である。
おそらく私も職場の周りから見れば、労働意欲の低い人間と思われているのだろう。

そこで今回は、そんな自分自身の経験も踏まえながら、「働かないおじさんはなぜ生まれるのか」を真面目に考えてみたいと思う。

できない人間の言い訳だと思って読んでもらっても構わない。


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40代になると感じる「あきらめ」

働かないおじさんと呼ばれる人の多くは、40代以上であることが多いと思う。
世間一般でも「おじさん=40代以上」という認識が強いのではないだろうか。

ただ、こういう人たちも若いころからやる気がなかったわけではないと思う。
そもそも日本人は比較的勤勉な人が多いので、最初から働く意欲がない人はそれほど多くないと思う。

私自身も、20代や30代のころはそれなりに意欲を持って働いていたと思う。
長時間残業もしたし、土日出勤も経験してきた。少しでも良い成果を出そうと努力してもきたつもりである。

しかし、40歳を過ぎるころになると、頑張っても報われない経験を嫌というほど味わうようになる。
実際、私もそうである。

そうなると、心のどこかで一種の「あきらめ」が生まれてくる。


なぜ「あきらめ」が生じるのか

理由を一言で言えば、頑張っても報われない経験を嫌というほど積み重ねてきたからである。

こうした経験を繰り返すと、次第に「どうせやっても無駄だ」という感覚が染みついてくる。
一生懸命走っても、ゴールポストを何度も動かされるようなものである。

ここでは、私自身が経験してきたことを皮肉も込めていくつか挙げてみる。

まず、評価基準が不明瞭なことである。
営業のように成果が数値で表れる仕事ならまだしも、多くの仕事は成果が見えにくい。特に裏方業務やトラブル対応のような仕事は、マイナスをゼロに戻す仕事であり、どれだけ頑張っても評価されにくい。

そうなると、評価されるのは目立つ花形業務を担当している人や、上司に好き嫌いによるところが大きくなる。
「地味な仕事でも誰かが見てくれている」という言葉を聞くこともあるが、正直それはきれいごとなのだ。

また、どんなに裏方業務を頑張っても、希望の業務に配置してもらえるかどうかは運の要素が大きい。
上司との相性や人事異動のタイミングなども大きく影響する。
私の場合は、専門資格を頑張って取得してアピールしても、それが仕事の配置に反映されることがほとんどなかった。

さらに、裏方業務や雑務は一度引き受けると固定化される傾向がある。
「あの人は庶務担当」というイメージがつくと、異動しても似たような仕事ばかり振られることになる。
まるでカースト制度のようなもので、身分が固定されてしまうのだ。
そうなるとどんなに努力してもアンダークラスから這い上がれない感覚である。
このような状況から抜け出せない蟻地獄のような状態に嫌気がさし、私は転職を考えるようになった。

そして、このような仕事は問題なくこなしてもフィードバックはほとんどない。
むしろミスをしたときだけ叩かれ、減点される。

参考:40代後半サラリーマン 転職について考える


他グループの尻ぬぐいのような仕事は最悪である。
筆頭グループは連帯責任を負う義務があるのかのように、窓口対応として関係ない自分が矢面に立たされ叱責される。
尻拭いを引き受けることで他部署からも自分が原因ではないのに、ミスの元凶と誤解されることもある。
評価されるどころかマイナスのイメージが社内外に蔓延する最悪の業務である。

さらに、定時前の指示で長時間残業をして作成した資料が、上司の思いつきでゼロから作り直しになることもある。
当然、その努力が評価されることはない。


これらはほんの一部にすぎない。
挙げようと思えば本当にきりがない。

このような理不尽なことが当たり前のように続けば、「頑張れ」と言われても頑張る気力はなくなる。
現に、今の私がそうである。


私の結論

働かないおじさんは、このような理不尽や報われない経験を長年積み重ねてきた結果として生まれるのだと思う。

個人の問題として片づけられがちであるが「おじさん」だけに原因があるのではなく、会社や組織の仕組みにも原因があると思う。

こうして気持ちが切れ、あきらめが生まれたとき、人は最低限のことしかしなくなる。
それが「働かないおじさん」と呼ばれる状態なのだと思う。

最近では「静かな退職」や「窓際FIRE」という言葉も聞くようになった。
これらの言葉が広がっている背景には、「真面目に働いても報われない」という感覚が多くの人の中にあり真面目に働くことがバカバカしいと感じるからではないかと思う。


私も「働かないおじさん」になりつつある

正直に言うと、私自身も働かないおじさんになりつつあるのだろう。

例えば、誰でもできそうな仕事は積極的に引き受けようとは思わない。
特に役割が曖昧な仕事は、雑務担当に回されることが多い。
そのため、指示されるまでは自分から動かないようにしている。

自分が興味のないことについては、業務改善の提案もしない。
下手に改善提案をすると、自分が担当することになる可能性が高いからである。
しかも感謝も評価もされないことが多い。そのくせ、対応が遅ければ文句を言われる。

また、自分がやった方が早いと思う仕事でも、自分の担当でなければ極力引き受けない。
善意で引き受けると、次からそれが当たり前になってしまうからである。

飲み会の幹事やボランティア活動など、給料が出ない仕事も極力避ける。
こういうものは、言われたことだけを勤務時間内に最低限やり、面倒なこと、勤務時間外の対応は他の人に振る。

職場では余計な雑談もしない。
雑談をしていると、面倒な仕事を頼まれることがあるからである。

できるだけ定時で帰る。
経験上、定時後は面倒ごとを頼まれることが多いからである。

面倒ごとに巻き込まれそうな日は、年休を取ることもある。
職場にいれば、他グループの尻ぬぐいを指示される可能性もあるからだ。


このような考え方は社会人としてどうなのか、という意見もあると思う。
「社会人なら〇〇すべき」という人もいるが、私はこの言葉にはうんざりだ。
心が折れてしまうと、人はこういう気持ちになってしまうものだと思う。

人間の防衛本能なのか、頭では良くないと分かっていても、体が前向きに動いてくれないのだ。

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