映画「無限城編」を観て感じたこと
先日、映画館で公開されたばかりの「鬼滅の刃 無限城編 第一章」を観賞した。本作品は多くのファンに注目されており、登場人物の個性も非常に際立っている。
私自身、ASD・ADHDの傾向があるため、登場人物たちの言動や振る舞いに関して、発達障害的な視点で見てしまうことが多い。特に柱と呼ばれる鬼殺隊の最上級剣士たちは、常識を超えたような個性や行動を見せており、常識的な観点では問題があるように見える人物もいる。また、その中には自分と重なる部分を持つ人物もいる。
今回は特に「発達傾向があるのでは」と思わせられる登場人物を挙げて考察してみたい。
煉獄杏寿郎 一途すぎる情熱とこだわり
炎柱である煉獄杏寿郎は、無限列車編での活躍が印象的である。列車の中で「うまい!うまい!」と大声で弁当を食べる姿は、一般的な感覚からすれば変わった人に映る。
また、「よもやよもや」など古風で難解な言葉遣いも特徴的である。ASD傾向のある人は難解な語彙にこだわると言われており、その点と重なる部分があると思う。
そして、彼は一度決めた信念に対して一途に突き進み、他のことには目もくれない。弱いものを守り自分の使命を全うするというこだわりはASDの良い面の表れだと思う。
まさに「過集中」「こだわり」のASD的特性が感じられる人物である。
富岡義勇 空気が読めず誤解される存在
水柱・富岡義勇は、主人公・炭治郎を最初に救った重要人物である。しかし、他の柱たちと打ち解けられず、特に風柱・不死川実弥との衝突が多い。
那田蜘蛛山編の「俺は嫌われていない」という名言に象徴されるように、本人は空気が読めず、柱たちとの間にすれ違いが生じている。
これは典型的なASDまたはADHDの社会的困難に近い。
その一方で、彼は「凪」という独自の型を編み出しており、凝り性で極める力にも長けている。
竈門炭治郎 空気を読まない積極性と一途さ
本作の主人公・炭治郎は非常に社交的であるが、その馴れ馴れしさは時に空気を読まない印象すらある。
たとえば、不死川玄弥にしつこく話しかけたり、柱合会議で風柱に頭突きを食らわせたりする場面は、常識的な観点ではやや唐突すぎる。これは相手の感情の変化を読み取ることが苦手なASD的傾向とも言える。
一方で、「鬼を倒す」「鬼舞辻無惨を倒す」という目標に対して極めて集中力が高く、困難にもめげずに突き進む姿勢は、発達特性の長所が発揮されている例とも捉えられる。
鋼鐵塚蛍 究極の職人気質と過集中
刀鍛冶の鋼鐵塚蛍は、作中でも随一の強烈な個性を持つ。刀を折られた際の激昂や、刃物を持って追いかける姿勢。そして縁壱零式の人形から発見された刀の研磨に関しても、「俺がやる」と譲らない頑固さがある。
この極端なこだわりと感情の爆発は、典型的なASD的特徴に近いと感じた。
また、刀を研ぐことに関しては、上弦の鬼である玉壺が襲ってきても、気づかないほどの集中力を見せており、「過集中」の状態に近い。この一貫した没入感こそが彼の最大の強みである。
ASD・ADHD特性と鬼殺隊の相性
鬼殺隊という組織は、常識や普通が通じない「鬼」を相手にする。相手の意図が読めない存在と対峙するには、むしろ空気を読まず、自分の信念を貫ける人物の方が適しているのかもしれない。
柱になるような人々は、常人離れした集中力やこだわりを持っており、厳しい訓練も耐え抜いている。
これはASDの「強み」とも言えるだろう。
また、「鬼を何体倒せば昇格」「十二鬼月を倒すと柱」といった、成果に対する評価基準が明確である点も、発達特性を持つ人にとって理解しやすい世界であると感じた。
鬼滅の刃を見て思ったこと
「鬼滅の刃」を観て改めて思ったことは、ASD・ADHDの特性は環境や時代背景によって活かされるかどうかが決まるという点である。鬼殺隊のような環境では、空気を読むよりも自分の技や得意分野を磨き抜いた者が高く評価される。
現実社会においても、ASDやADHDの人がその特性を活かしやすい「環境」を見つけることができれば、鬼殺隊の柱のように活躍できるのかもしれない。
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