「残業キャンセル界隈」とは?
先日、Yahoo!ニュースで「残業キャンセル界隈」という言葉を耳にした。SNSで広がっている言葉であり、仕事が残っていても残業をせず、定時で帰る若者を指す言葉である。
この「残業キャンセル界隈」、私の世代からするとかなり衝撃的である。というのも、「仕事が終わっていなくても帰る」という行為は、これまでの価値観からすれば「責任感の欠如」と見なされてきたからだ。
世代による価値観の変化
記事によれば、特にZ世代の若者たちは「タイムパフォーマンス(タイパ)」を重視しているという。つまり、成果を効率的に出すことに価値を置き、それ以上は会社に時間を捧げないという考え方である。
昭和から平成にかけての会社員文化では「長時間働くこと自体」が美徳だった。仕事の出来よりも「どれだけ会社に残っているか」で評価が決まる場面すら珍しくなかった。だが今はその価値観が根底から覆されつつある。
SNSの反応を見ても、「効率的でいい」「今までが逆だった」という肯定的な意見がある一方で、「責任感がない」「将来痛い目に遭う」といった厳しい声も目立った。実際、私の上司世代からすれば「仕事が残っていいるのに帰るとは何事だ。仕事が優先。」という感覚があるのだろう。
我々世代が見てきた現実
私は2000年代に社会人になったが、当時は残業が前提であった。働き方改革が始まる前までは、私の会社でも残業をしない部署などほとんど存在しなかったと記憶している。
残業をしている人は「頑張っている」と見なされ、サービス残業も当たり前だった。むしろ残業時間をきっちり申請すると「愛社精神が足りない」と嫌味を言われることさえあった。まさに「滅私奉公」が当然の空気だったのである。
しかしその後、私たちの世代が40代を迎える頃になると、「働かないおじさん」「妖精さん」といった言葉がはやりだし、さらに早期退職やリストラのターゲットにされる現実が待っていた。
つまり、会社に尽くしても将来が保証されないことを、私たちの世代は身をもって体験しているのである。今の若い人たちはその姿を見て「同じ轍を踏みたくない」と感じているのではないだろうか。
安定が崩れた時代背景
昭和の頃なら、会社に尽くすことで年功序列と終身雇用が守られ、マイホームを持ち、退職後は年金で余裕ある生活ができるという夢があった。だがその夢は私たちの世代から崩れてきた。
今の若い人は安定を求める一方で、会社に人生を預けても安定が保証されない現実を冷静に見ている。だからこそ「会社は最低限の生活費を稼ぐ場所」と割り切り、スキルや人脈づくりは社外で行うという考え方にシフトしているのだと思う。
残業の「割に合わなさ」
今の若い人達が残業を嫌がる一番の理由は「割に合わない」からだと思う。残業代をもらっても、時間や労力に対する見返りが少ないと感じているのだ。
私自身も経験があるが、夜遅くまで働いても評価につながらず、給料もほとんど変わらなかった。口では「頑張ったね」と言われても、昇給や昇進がなければ意味がない。若い人達が「言葉よりお金」と考えるのは合理的である。
さらに厳しいのは、残業代が増えても税金や社会保険料で大きく差し引かれることだ。昭和の時代と比べ、給与から天引きされる割合は確実に増えている。これでは「働けば働くほど損」と感じても仕方がない。
もし残業代が2倍になる制度でも導入されれば、残業に対する考え方は変わるかもしれないが、現状では「時間を犠牲にしてまで働く意味がない」と考えるのが自然だろう。
私自身の体験と心境
働き方改革前の私は、嫌というほど残業をしてきた。時には日付が変わるまで会社に残り、数週間続けて深夜帰宅という時期もあった。それでも評価はされず、気づけば12年間も昇級していない。
この経験から、私は「残業しても報われない」と感じている。だから正直に言えば、今はもう残業はしたくない。早く帰れるなら帰りたい。そして、自分の好きなことや自己啓発に時間を使いたいのだ。
もちろん、サービス残業や「ボランティア」という名の業務などは絶対に御免である。
「残業キャンセル界隈」への見方
「残業キャンセル界隈」の姿勢は、無責任に見える部分も確かにある。しかし、私たち世代やこれまでの私の経験を踏まえると、彼らの考え方には大いに共感できる。
結局のところ、若い人達は「会社に期待していない」のだろう。キャリアは自分で築くもの、人生は自分の責任で選ぶもの。そうした意識が強まっているのだと思う。
そして彼らは、私たち世代の姿を見て「こうはなりたくない」と感じているのではないか。だからこそ定時で帰ることにためらいがなく、むしろ「自分の時間を大切にする方が賢い」と考えているのだと思う。
信用を失った会社と従業員の関係
最後に思うのは、会社と従業員の関係性が根本的に変わってしまったということである。会社は従業員を簡単に切り捨てるし、従業員も会社を信用していない。この不信感の構図こそが、「残業キャンセル界隈」という現象を生み出す大きな要因なのではないだろうか。
かつては「会社と運命共同体」という感覚があった。だが今は「会社は生活費を得るための場所」としか見られなくなった。皮肉ではあるが、この現実を作ったのは他ならぬ私たち世代の歩んできた会社員人生そのものかもしれない。
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